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「1ミリでも世の中を変える」僕にっとてこの言葉が意味すること

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どーも。今日は少し真面目な話をしたいと思います。サンティです。

最近、ハンフリーの理念について考え直すことが増えています。数日前のPodcast、#047 「理念」は、1回宣言したぐらいじゃ誰も共有してくれない。 でも話したように、理念自体を変えるということではなくて、今の理念をメンバー間でもっともっと共有できるように、より明確化するという作業に取り組んでいます。

そんな中、ハンフリーの理念のコアな部分である「1ミリでも世の中を変える」という言葉の意味について、思い立ったら考えているということが増えました。というのも、しばらく前(たぶん去年の9月)のミーティングで、「世の中にインパクトを与える」という、ハンフリーの皆が共有している想いをどう表現しようかと話し合っていた時、この文言を提案したのは僕なんです。

結構抽象的なフレーズなので、いろいろな解釈の仕方ができると思います。でも、そもそもなぜ1ミリになのか? ということに関しては、個人的で、少し深い意味があります。

1ミリなんていう、目に見えるか見えないかぐらいの下らない単位を選んだのには、意味があるんです。

blog-1mm1

今日は、そのことについて話したいと思います。

何事も、冷めた目で見てしまうことを学んでしまった自分

少し話がさかのぼりますが、僕は高校に入った頃ぐらいから、少しづつ自分の限界や社会の限界に気づくようになっていました。

自分の限界とは、がんばってもがんばっても他人には敵わないことがあるという、いわゆる能力の限界や、人見知りで初めて会った人にうまく話せないとか、難しい挑戦だとか敵を作ってしまいそうな取り組みにビビって踏み出せないという、いわゆる性格的な限界のことです。要は誰もが持つ人間的な限界です。

社会の限界とは、たとえどんなに素晴らしいことを言う政治家がいても、どんなに多くの人が政治活動にエネルギーを注いでも、戦争、格差、社会的排除などの問題を人類はいつも堂々巡りしているという政治的な限界。人と人が関わっていく上で、勝者が生まれ、敗者が生まれることや、いつも誰かが誰かを傷つけてしまうという人間関係の上での限界。その他にも例を挙げればキリがないです。

細かい話をしだすと話が終わらないのでここで止めますが、少しづつ大人の道を歩みだした僕は、この世に無条件で素晴らしいものなんてないんだということを確信するようになりました。程度の差、年齢の差はあれ、誰もがこのような過酷な現実の存在に気づくという経験を通ってきていると思います。

世間一般で言われる「大人になる」という言葉も、よくこの意味で使われますよね。僕も、これが大人になることなんだと思っていました。そして、それがどこかかっこいいと思っているところもありました。子どものような理想の世界を捨て、厳しい現実の世界を、適度な距離感と冷めた心でもって賢く生きていく。

こうやって僕は、他の多くの人と同じように、「仕方ない」と割り切って生きていくことを学びました。「大人の階段の〜ぼる〜♪」と、時に口ずさみながら。(ものすごくがんばったんですけど、やっぱり今日もふざけてしまいました…)

この世の中には、違う生き方(考え方)がある

さて、上に書いたような考えも当たり前のように身につき、僕は日々なんとなく生きていたわけですが、ここ1年か2年の間に、まったく違う生き方をしている大人が思いの外いることに気づき始めました。周りから理想主義といって切り捨てられるようなことを、本気でやっている人たちのことです。

スケールの大きいところで言えば、病気や貧困に本気で挑んでいるビル・ゲイツとか、世界から貧困をなくすということを本気で言っているモハメド・ヤヌスとか。ただ、こういった遠くの世界に生きているような人だけの話をしているわけじゃないです。僕の身近でも、同じような高い理想を本気で追い求めている人たちを見てきまして。例えば、最近ハンフリーの突撃インタビューに出演いただいた、野津積さん大野圭司さんもまさにそうです。

そんな人たちの話を聞いたり、実際に会ったりして気づいたことがあります。そういう人には、決まってとても大きなエネルギーが溢れています。そして、そのエネルギーにちょっとでも触れると、自分にもそれが伝染して、なんだかすごくワクワクしてくるんです。とにかく伝染性が高いんです。

僕はこのエネルギーってどこからくるんだろうと、しばらくの間考えてきました。どうやったら自分にもそのようなエネルギーが生まれるのか、たぶんそこを知りたいんだと思います。そして最近、答えがちょっと分かった気がします。

既にいったように、こういう人たちはとても高い理想を持っています。この人たちは、執拗に働きかけ続ければ、世の中は変わると本気で信じているんだなと、ひしひしと伝わってきます。だからこそ、これだけの理想を持つことができるんだということに、僕は気づきました。

そのおかげで、僕のこれまでの考え方は変わりつつあります。どう変わったかというと、世界を変えることができると信じるからこそ、エネルギーが湧き出てきて、最終的にはそのエネルギー自体が世界を変える原動力になるんだと、そう考えるようになりました。

逆に「仕方ない」と諦めることは、脱力感と無関心を生み、結局はそれが原因で現状は何も変わらない。

僕は今まで逆の順番で物事を考えていたんです。自分と自分を取り巻く環境に限界があるから何もできないのではなくて、何もできないと信じてしまうことこそが、限界を生み出してしまうんだと今では思います。ちょっと綺麗事に聞こえますが、まずはあきらめないことから、自分にもできることがあると信じることから始めるべきなんだと。今ではそう思います。

最後に:なぜ1ミリか?

ここまで、響きが素晴らしい言葉を並べてきました。それじゃあ、この気づきを機に自分に何か大きな変化があったかというと、実はそうではありません。結局僕は、以前と変わらず限界を持っていますし、まだまだ冷めた目で物事を見ることがほとんどです。ちょっとやそっとで変われるようだったら、誰も苦労しませんよね。

ただ、一つ変わったことがあるとすれば、冷めた考え方を持つことが当たり前だと思うことは無くなりました。理想を実現するには、まず理想を持つところから始めないといけないということを、自分に言い聞かせるようになりました。もちろん、いつも意識しているわけではないですし、大半の時は忘れているかもしれませんが、思い出すたびに自分に強く言い聞かせる、その繰り返しです。

そんなちっぽけな自分に何ができるのか? 今の僕には、世界に意味のある変化をもたらす力なんかはっきり言ってないです。でも、だからと言って「仕方ない」と諦めることはしません。こんな自分でも、何か本気を出せる対象が見つかれば、「1ミリ」くらいは変化をもたらすことができるかもしれない。正直、1ミリでもインパクトをもたらせれば大したもんだと思っています。だって、最終的には、そう言った小さな積み重ねが大きな変化をもたらすんじゃないでしょうか!?

少し長くなりましたが、「1ミリでも世の中を変える」という言葉が、僕にとって何を意味するのか、少しでも伝えることができたのではと思います。当面は、このような意識を持って何事もやっていきたいと思います。

「常に意識し続けること」

ここ最近、実はこれが一番難しいんじゃないかと思っています。

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